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努力とは、目標に向かって行動を続けること

「努力」というものについて、賛美する声もあればそれを非難する声もある。なぜそのような違いが生まれるのかといえば、努力という言葉が何を意味しているのか、はっきり定まっていないからだ。つまり、「~な努力」といった時の”~”の部分に何を入れるかによって、いろいろな見方が出来てしまう。

私は、努力は生きる上でどうしても避けられないものであり、だったら良い概念、人が生きるのに役に立つ概念であってほしいと思う。だから、そういうスタンスから努力という言葉を擁護したい。

努力とは、目標に向かって行動を続けることである。

努力と行動と目的地

どんな行動も、目標がなければそれを努力と呼ぶことは出来ない。

目標がないとき、人はどんなに行動しても、散漫なことしかできない。行動に目的地がないからだ。そのような行動は気ままなドライブのようなもので、結局は最初の地点に戻って来る。走り回ることが目的なので、その行為は努力ではなく、単なる気晴らしだ。行動そのものが目的なら、それは努力と呼べない。

努力というのは、何か達成したいことがあり、それを達成するために必要な行動をとることだ。志望校に入学するために勉強したり、魅力的な身体を手に入れるために筋トレしたりすることを想像してくれれば良い。

目標とは何か

次は「目標」について。目標とはどのようなものか説明すると同時に、目標とセットで引き合いに出されやすい「目的」についても書いていく。

目標とは、あらためて言うまでもないかもしれないが、「達成したい事柄を、具体的な言葉で表現したもの」だ。ポイントは「具体的」というところで、抽象的で曖昧な目標は存在しない。それはまだ目標になる前のたたき台だ。

そして、「目的」とはこれから実現させたい理想像のことである。「~がしたい/欲しい」というときの”~”部分とも言える。目的を果たすためにいくつかの目標を設定することで、目的の実現をより現実的なものにする。

「続ける」ということ

少し動けば目標が達成される、という場合はなくはないのだが、大体の目標は達成のためにしばらく行動を続ける必要がある。そして、達成までの道のりが劇的でないほど、その作業は苦しいものになりやすい。

努力をするとき、一番苦労するのは「続けること」だ。逆に、一瞬動けば済むのなら、それを人は努力と呼ばないだろう。目標達成に向けた行動は、それをいくらかでも我慢して続けたとき、初めて努力であると認められるのかもしれない。

苦しみと楽しみ

余談だが、苦しくないと努力ではない、というのもどうかと思ってしまう。というのも、努力することは基本的に美徳とされている一方で、楽しんで行うことは何かと批判の目にさらされがちなのだ。批判する人々は、楽しそうな人々が羨ましく、憎い。自分は持っていない、しかし渇望するものを持っている。

家庭を含めた教育の現場で、どうしてこれまで楽しんで行うことが重要視されてこなかったのだろうか。苦痛を我慢して誰かの指示しかもずいぶん思慮に欠けた指示に従う、それが今多くの若者たちに叩き込まれている生き方だ。

そのせいなのではないだろうか。日本人が、他の人を褒めることができないのは。先日民間ロケットの開発がまた一歩前進したが、海外では「partial success」(部分的な成功)と報じられたのに対し、日本では「打ち上げ失敗」と言われた。人々は、”すごいこと”をする人を決して認めず、虎視眈々とすくうべき足元を見つめている。