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シンプリストとミニマリストの違いと誤解

シンプリストとミニマリストを「モノの量」で分ける見方が多いのだが、実際にはそんな浅い違いではない。この2種類の人々にはもっと根本的な違い、「人生において求めるもの」の違いがある。「シンプリスト ミニマリスト 違い」で検索してみて、この人たちの違いがかなり雑に扱われているのが残念であったのでこのエントリーを書いた。

彼らの生き方はどちらがより良いとかいうものではないが、どっちをお手本にしたいか、ということを考えるにあたっては、一緒に解説して比べてみるのもいいだろうと考えた。さて、あなたが望むのは「シンプルな生き方」か、それとも「ミニマルな生き方」だろうか。

シンプルな生活を目指す人々

「シンプリスト」(単純化主義者)とは、「生き方から複雑さ・煩雑さを取り除き、それによって生活の質を高めようとする人々」のことだ。彼らがシンプルに変えていく対象は「生活そのもの」であり、家具を無印良品でそろえている人をシンプリストと呼ぶのではない。無印でそろえるのは単純化の手段の一つに過ぎない。

私たちの生きる世界は複雑で煩雑だ。朝起きてメールをチェックし、その日に着る服とその組み合わせを選び、朝食を作って食べ、歯を磨き髪を結い、その間にもニュースを眺める…。寝起きの短い間ですらとても多くのことを行い、そんな調子で一日を過ごすのだ。夜ベッドに入るころにはくたびれ、来るべき夜明けを呪いながら眠りにつく。悲しいかな、私たちの多くはその雑然とした生き方に疲れ切っている。中にはその苦しさが当たり前すぎて、休むことを拒否し始める人すらいる。

この現実に対し、主体的にそれを改善しようと動き始めた人たちがシンプリストだ。彼らは自分の所有物、考え方、生き方をシンプルに整えることで、人間らしい人生を取り戻そうとしている。

たとえば、モノの保管場所を一ヶ所にまとめ、あれこれ探し回る必要性を排除すること。モノを買う際には自分なりの基準を持ち、それによってよりスマートで洗練された買い物をすること。家具の色合いに統一感を持たせることで、自分の生活環境から視覚的な煩雑さを取り除くこと。そういった行動は彼らのシンプリズムにのっとっていると言える。生き方を整える、つまり「生き方を乱す要素」を削るのがシンプリストの行動原則だ。

最近では、「シンプルライフ」というキーワードとともに本を出す人が増えてきた。それだけこの考え方は現代の人々にとって魅力があるのだろう。しかし、その著者たちが、出版によって不要な煩雑さを呼び込んでしまってはいないか少々気になるところである。

モノへの執着を捨てる人々

「ミニマリスト」(最小限主義者)とは、「生活に最低限必要なモノ以外を手放すことをよしとする人々」のことだ。無駄を一切削る、それこそ彼らの信条である。

実は、彼らが無駄を徹底的に削るその目的は、シンプリストと似ている。つまり、「生き方から無駄を削り落とすことで、本来の豊かな生を取り戻すこと」であり、シンプリストとは方法が異なっている(モノを減らすこと自体に楽しみを覚えてしまう人も多いが)。彼らのすることは「なくても困らないモノを一切排除する」ということであり、それによって「自分の人生において重要なもの」を見つめられるようにする。シンプリストがノイズが減る仕組み・環境を作るとすれば、ミニマリストは「ノイズの発生源」そのものを廃棄する。

ミニマリストはその生活の極端さから、自分をブランディングする力が強い。だから自己顕示欲の強い人々が持ち物を捨ててミニマリストを名乗り始める時期もあったのだが、やはりそのような凡人からしたら苦行でありじきに撤退していくようだ。

違いのまとめ

ここで両者の違いをまとめておく。

シンプリストは、生活の中で生じるノイズや複雑さ、煩雑さを、その発生源を絶ったり整えることでより質の高い生活を目指す人たちのことである。

対してミニマリストは、捨てても何とかなるものはすべて捨てることで、人生において重要なことを大切にできる生活環境を作る人。誤解を恐れずに言えば過激化したシンプリストである。

世間の勘違い―両者を分けるのはモノの量なのか

ここまでシンプリストとミニマリストの違いを解説したが、一緒に違いに関する誤解についても触れておきたい。解説の中でも触れた内容になるが、一度ちゃんと指摘しておくべきだと思うからだ。

見た目がすっきりしていればシンプリスト?

シンプリストの特徴として最も多く挙げられているのは、部屋作りの仕方についてだ。まるで「シンプリスト」という言葉が、「すっきりとこじゃれた部屋を作る人」を指しているかのようである。

しかし、先ほども述べたようにこれはシンプリストの意味としてはかなり浅い。シンプリストの行動の結果しか見ることができていない。こういった紹介の仕方をする人は、シンプリストの行為は見るが考え方を見ていない。

シンプリストはミニマリストに比べてモノが多いとか、そういうことではない。どんなに物が少なくても、排除ではなく整えることを主体に考えているのならばその人はミニマリストではなくシンプリストだ。

モノがなければミニマリスト?

逆に、モノが多かろうと、それらが生活に必要最低限なのだとしたら十分にミニマリストだ。ホームレスのミニマリストと大手企業企業の社長をしているミニマリストではどうしても「最低限」が違ってくる。ホームレスに通信手段は要らないだろうが、社長が携帯もスマホも持っていないというのは問題だろう。

不要なものを徹底的に捨てる。これがミニマリストをミニマリストたらしめている考え方だ。ついでに言えば、よくいる「断捨離してたくさん捨てました、ミニマリストです」という人ほど寒い存在はなかなかない。ミニマリストと名乗りたくてモノを捨てたのだろうし、そういう人の持ち物はすぐに増え始め、そのうち「ミニマリスト生活は自分に合わなかった」とか言い出すのだ。まずミニマリストと名乗ることで注目を集めたいというその雑念を断捨離できなかったのか。

これから増えてくるのはシンプリスト

これからの日本で増えてくるのは、やはりシンプリストなのだろう。

基本的に、ミニマリストの生活は普通の人々にとって苦行以外の何物でもない。極端な思想であるがゆえについていける人は少ない。

一方で、シンプリストは誰もが目指せる生き方であり、むしろ今の日本人を見ていると、すべての人が目指すべき生き方であるようにも思える。私たちは忙しすぎだ。

「忙しいのはありがたいこと」という、なんとまあありがたいお言葉をかけてくれるお年寄りがとても多いが、日本人が忙しいのは無駄なことをしすぎだからである。それをする意味はなく、むしろ私たちの生を削ってお金に換えている。生きるためにお金を稼いでいたはずが、お金を稼ぐために生を切り崩しているのだ。

しかし、その現状は認識され始めている。奴隷的な生活を抜け出そうとする人はこれからどんどん増え始めるだろう。その流れを助けるために、私たちはこの思想、人々が受け入れやすいであろうシンプリズムという考え方を広めるべきなのではないだろうか。