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努力が裏切ることはないしそれは必ず報われる、ただし…

「努力は裏切らない」という言葉は、昔からよく言われている。特にスポーツの世界で顕著なのではないだろうか。

しかし、世の中にはこの言葉に疑念を抱く人も多い。それは、多大な努力をしたにもかかわらず、ろくな結果を生み出せなかった人たちだ。彼らは「努力が裏切らないとは限らない」と口をそろえて言う。

なぜ、この人々のように「裏切らない」「裏切る」の食い違いが起こるのだろう。ただ単にうまくいった人が裏切らないと言い、うまくいかなかった人が裏切ると言っているのだろうか。どうもそれだけではないように思う。というのも、これは彼らが「全く同質・同量の努力をしている」という前提に立っており、そんなこともないのではないか、と私が直観したからだ。

私の考えでは、努力が裏切らないのは至極当たり前のことだ。必然と言ってもいいかもしれない。また、この言葉には若干の不備があり、それが解釈の不一致を生み出している面がある。

この記事では、そういった「努力は裏切らない」という言葉に対する私なりの解釈について、順を追って話していきたい。

良くも悪くも「相応しい」

努力というものは、したらしただけの結果が必ず返ってくる。しなかったらしなかっただけ、より少ない結果が返ってくる。それ以上でもそれ以下でもない。

また、「間違った努力」、これは方向性;目的の設定とか、目標達成の手段とか、あるいはどれだけの努力が必要なのかとか、そういったことについての間違いだが、こうした場合にも努力は相応の結果しか返してはくれない。努力の仕方に根本的な欠陥を抱えていたら、その努力が報われる可能性はかなり小さなものになる。

だから、努力はその質と量に相応しい結果を、必ず用意してくれている。この意味で「努力は裏切らない」のだ。努力に裏切られる人たちは、なぜそうなってしまうかというと、この言葉に大きな勘違いをしているからだ。加えて大きなミステイクも同時に犯しているかもしれない。

続く見出しでは、その「勘違い」と「大きなミステイク」について書いていく。

なぜ人は「努力に裏切られた」と感じるのか

人が努力に裏切られたと感じてしまう理由は2つ、「”努力は裏切らない”という言葉を誤解している」ことと「現実を正確に見れていない」ことだ。

まず、誤解とはポジティブな誤解だ。つまり、「努力は裏切らない」とは「どんな努力もその質・良に相応しい結果を返してくれる」という意味であるにも関わらず、「努力はしてさえいれば必ず良い結果をもたらす」と考えている。現実はそんなに甘いものではないので、小さな努力には小さな結果、大きな努力には大きな結果、無意味な努力には結果なしということになる。ある意味これは「努力はすべての人に公平である」とも言えると思う。

次に「現実を正確に見れていない」とはどういうことだろうか。それはいくつかの意味を含んでいる。

まず、自分の努力について客観的な評価をすることができていない。どんなことをどれだけすればよいのか、また自分がどんなことをどれだけできているのか、わかっていないのだ。そういう人は、自分のものさしで「これだけ頑張ったのだから、良い結果が待っているはずだ」と考えてしまう。「自分がどれほど努力したように感じたか」が評価軸となってしまっているので、実際に十分な質と量の努力をすることが難しい。

それにともなって、「自信過剰」ということも考えられる。実際はそんなことないのに、自分は誰よりも努力しているのだ、だから良い結果が出るのは当然だ、ということだ。これも自分についてメタ的な分析ができていない。目標の達成に必要な努力の質と量を決めるのは、当然努力をするその人ではなく、目標と現状のずれだ。

もう一つ、心理的な問題がある。それは、自分の努力には結果が伴うという空想だ。言い換えれば、自分が目標達成のために費やしてきた時間、労力、お金が、期待する結果を伴わないような「無意味な」ものであったとは絶対に認めたくないのである。これはなかなか解決の難しい問題だ。失敗を素直に認めることが難しいのはこれを読んでいる人たちにも共感できるところだと思う。しかし、この問題に対処するには自分の失敗と真摯に向かい合わなければならないだろう。

「努力は裏切らない」という言葉の不備

記事の冒頭で「この言葉には若干の不備があり」と書いたが、まだそれについて十分な説明をしていないので、最後にそれについて話そうと思う。

この言葉の問題点は、「どんな努力」が、「どのような意味で裏切らないのか」明言していないところにあると思う。

まず、努力には種類があるということ。繰り返し述べてきたように、努力には大小と質がある。これらに応じて、努力は結果を返してくれる。

そして、「どのような意味で裏切らないのか」。これは「相応しい結果を"必ず"返す」という意味で裏切らないと言っているのだ。努力が裏切るものがあるとしたら、私たちの淡い期待である。